2009年08月15日

ではさっそく

江戸川テン作、オリジナルライトノベル『アシタマ!』。

そのプロローグと第一話です。

アシタマ!



 〜プロローグ〜

『ひがしせいおうー。ひがしせいおうーです。タツガミ行きの方はーお乗換えーです』
 東聖桜駅のホームへ降り立った僕は、吹き抜ける冷たい風に身を震わせた。
 まだ十一月だというのに、今年はとても寒い。温暖化のせいで夏が長くなり、代わりに秋がなくなりそうだという話をよく耳にするが、雪でも降り出すんじゃないかと思ってしまえるほどに冷たい風をこうして浴びせられると、その話も眉唾ではなさそうな気がした。
「ええっと…みずさき町…の、どこだったっけ」
 僕はホームのベンチに鞄を置き、横にトランクを立てると、コートのポケットに入れておいたメモを取り出し、そこに書かれている文字を確認した。

『聖桜市水咲町二丁目三番地 柊辰真』

 つい昨日まで僕が住んでいた家の人が書いたメモには、そう書かれていた。
 辰真おじさん…と呼んでいいのだろうか。なにしろ会ったこともない人なんだから。
 僕と同い年の娘さんが一人いるとも聞いているが、その子のことも何も知らない。知らされていない。
「……とりあえず…バス探そう」
 僕はメモ用紙をポケットに入れると、鞄をかついでトランクを転がし、足を無理矢理動かして改札口へと歩き出した。
 この足が重いのは、きっと寒さだけのせいじゃない。
「……ふ〜む、しまったな。ボクとしたことが…」
 心を鎮め、努めて平静を保ちながら歩いて改札を出ると、妙に通った声が耳に届いた。
 声のした方を見ると、渋い顔をした男の子が、窓口の横に立って携帯電話片手にあっちこっちを見ながら何か独り言を呟いていた。
 歳は間違いなく僕より上だろう。髪は男の子にしては長いようで、後ろ髪をゴムのような物で結ってある。メガネの奥から覗く鋭い目は改札を出る人間を一人一人捉え、整った鼻の下にある色素の薄い唇からは、
「違う。たぶん違う。間違いなく違う」
 と、吹きぬける風のような透明度を持った声が発せられている。
 着ている服はと言えば、オレンジ色の温かそうなマフラーにこげ茶色のジャケットとジーンズで、そのカッコいい顔立ちと相まって、なんかもうどこのアイドルですかってくらいに良く似合っていた。
「う〜ん…まいったね。いったい誰がそうなのやら」
 そのカッコいい男の子は、後頭部をガシガシ掻きながら再び改札口に視線を向ける。
 何か困っているのかな?
 そんな風に考えた僕は思わずその視線に割り込んで、声をかけていた。
「あの…」
「ん? なんだい?」
 男の子は急に目の前に現れた僕の姿にも動じず、柔らかな微笑みで受け止めた。
 そんな彼の様子を見て、自分から声をかけたくせに逆に焦ってしまう僕。
「あ、いえ、その…何か困ってそうだったから……僕にも手伝えないかなって思って…」
 そして言い終わった後に、我ながら説得力のない言葉だなと思ってしまった。こんな、背も低くて声変わりもしていないような子供に何ができるのか、という話だ。
 けれども男の子は嫌な顔一つせず、それどころか僕の目をしっかり見て、その微笑みに苦笑を少々加えてこう言った。
「ああ…うん。そうだね、たしかに困ってるよ。ここに、と言うよりボクの家に今日から居候…は失礼か、ボクらと一緒に暮らす人がいるんだよ。で、ボクはその人を迎えに来たんだけど、生憎と父からその人の外見や生き方やDNAを聞くのを忘れていてね、家に電話して確かめようにも携帯は電池切れだし、すぐに帰るつもりだったから余分な金もない。さてどうしたものかと考えつつ、苦肉の策でそれっぽい人間がいないかどうかと眺めていたところなのさ」
「な、なるほど…」
 外見はともかく、生き方やDNAは知らなくてもいいだろうに。と言うかあなたのお父さんはその誰かのソレを知ってるのですか。
 と、危うくツッコミを入れそうになってしまうのを理性で防ぎ、僕は彼の言葉を整理して考え直してみることにした。
 彼の家には、誰かが今日から一緒に暮らしに来るらしい。
 そして彼はその誰かを迎えにここまで来た。
 しかし彼はその誰かが誰であるかの情報を得ずに来てしまい、確認しようにも連絡の取りようがない。
「……僕のテレカ、良かったら使ってください」
 僕は一番簡単そうな解決策を提示した。
 電話代を貸してもいいけどこの人はなんとなく断りそうな気がしたし、僕は携帯電話は使えないから持ち歩いていない。テレカだって、たまたま懸賞で当てたやつを財布に押し込んでいただけだ。こんな事で役に立つなら僕としても嬉しい。
「…いいのかい? ありがとう、借りるよ」
 彼は爽やかな笑みで僕からテレカを受け取ると、さっそくすぐ傍の公衆電話で電話をかけ始めた。
 良かった。自分から渡しておいて何だけど、まだアレ使えたんだ。
「―――ああ父さん、ボクだけど。……うん、聞くの忘れてたよね。どんな子? …いや、萌えポイントじゃなくって、大まかな外見的特長と生き方とDNA」
 何だろう、すごい会話が繰り広げられている気がする。生き方とか本当に訊いてるし。
「……うん、…うん、へぇ……そうなんだ」
 不意に、彼が僕を見てクスリと笑ったような気がした。
 僕はその鋭い視線に思わず畏縮したが、すぐにその視線は明後日の方へと向けられていた。
しかし緊張感から平常心を崩した僕の頭上で、蛍光灯が一瞬バチッと音を立てた。
「わっ、ヤバ…!」
 僕は深呼吸する。
 大丈夫。
 平常心を保て。
 冷静に冷静に。
「―――ん、大丈夫、問題ない。満点さ。すぐに帰るよ。…ああ、それじゃあ」
 間もなく電話が終わったようで、彼は笑顔でお礼を言いながらテレカを返してくれた。
「ありがとう。おかげで助かったよ。知り合いばかりいる地元の商店街とかだったら遠慮なしなんだけど、さすがにここでその辺の人に声かけてテレカや携帯貸してって言うのもどうかと思ってたんだよね。使った分は帰ってから現金で返すよ」
「いえ……たまたま持ってただけなので結構ですよ。それより、お役に立てて良かったです。
それで、その誰かが誰なのか、分かったんですね」
「ああ、バッチリね」
 彼はそう言うと、僕の手を握って引っ張った。
「さ、行こう」
「―――え? あの、えぇ?」
 僕は軽く混乱し、不敵に笑う彼を金魚みたいにパクパク口を開けて見つめた。
「そう言えばお互い自己紹介もまだだったね。キミの名前を聞かせてくれる?」
 不敵な笑みを崩さず、彼は僕に訊いてきた。
 僕はとっさに、
「え、あ、はい、マコトです。新垣…じゃなくて、柊誠です」
 昨日まで名乗っていた苗字ではなく、今日からそう名乗らなくてはいけない苗字と、本当の両親がつけてくれた名前を名乗った。
 彼は僕の言葉を聞いて、不敵な笑みから一転してにっこりと微笑み、
「誠か…良い名前だね。ボクの名前はアスマ。柊明日真さ」
「え―――」
 そこから先の驚きは、声にならなかった。
 明日真といえば、僕が厄介になる家の…つまり辰真おじさんの『一人娘』の名前だ。女の子にしては変わった名前なので、良く覚えていた。
「ほ、本当に明日真…さん?」
「明日真でいいよ。なんだい? ボクを年上の男性にでも見ていたのかい?」
 彼…ではなく彼女は「これでもキミと同い歳なんだけどな」と笑いながら、僕の手を引く。
僕を探していた云々はともかく、一見すると男の子のようなその風貌はなんだか分かっていてワザとやっている、確信犯のような気がしないでもなかった。
 駅を出てアーケードを進み、その先のバスターミナルへと彼女は僕を引っ張る。
 目の前に広がるのは、僕が今日から暮らすことになる、街。
 僕の手の先には、僕を養子に取ってくれた人の一人娘…明日真の笑顔。
「ようこそ、誠。聖なる桜の舞う街―――聖桜市へ」
 これが、明日真との出会い。
 たくさんの驚きと喜び、そしてほんの少しの悲しみが待つ大冒険の、始まりの出会いだった。




 第一話『ジャパニーズ・ジェントルマン』


『それではバス、出発しまーす』
 運転手さんの野太い声が、マイク越しに聞こえてきた。
 聖桜市は、その名の通りに桜が見事に咲き誇る街として全国でも有名な市だ…と、隣に座る明日真が教えてくれた。
 海と山に南北を囲まれた自然色豊かな街で、近隣の市町村とも親交が厚く、また数々の謂れや伝説が残る神秘的な街でもあるそうだ。
「…伝説って?」
 奥の席の窓側に座る僕は、隣の明日真に尋ねた。
 僕は今まで様々な本を読む機会があったので、そういう類いの話は好きだ。全国に残る数々の謎や伝説…妖怪や神々は、僕にとっては格好の知的好奇心をそそられる的だった。
 明日真はメガネのフチを指先でクイッと上げながら、
「色々あるよ。俗に言う七不思議みたいなものとかね。でも一番有名なのは、毎年十一月十八日に降る桜色の雪…『聖なる桜』だろうね」
「…せいなる、さくら?」
 さっきもそんな単語を聞いたような気がする。
 なんだか少女マンガに出てきそうな名前だなぁとか思ってしまい、苦笑いする僕。
「そう、聖なる桜さ。この街の名前の由来でもあってね、十一月十八日の午前零時からきっかり二十四時間この街に降り積もる、桜色の奇跡のことだよ」
 それに対して、明日真は大真面目だった。
「キミはちょうどいい時期にこの街に来たね、誠。あと二週間もすれば、ボクの言っていることが酔っ払いの戯言同然のくだらない話なんかじゃないってことが解るはずだよ」
 自信たっぷりに言う明日真を見て、僕は考えを改めることにした。
 明日真の言うことが嘘じゃないとして、今日は十一月の三日だから、たしかに今日も入れてあと十五日後の話だ。市の名前にもなっているほどに有名なものなのだとしたら、見てみたい気もする。百聞は一見にしかず、だったっけ。
 僕ってば、そういうのは実はかなり好きだったりするし。
「それにその日はボクの十四歳の誕生日だからね、友達とか呼んでパーッとやるよ」
「え、十四歳って…じゃあ明日真、僕と同い年なの?」
「あれ、さっき言わなかったっけ? ボクはれっきとした十三歳で、花の女子中学生だよ」
 彼女は(どうみてもカッコいい男の子なんだけど)フフッと笑いながら僕の顔を覗きこんできた。対する僕は、明日真には悪いけど、聖なるなんとかよりそっちの方が驚きだよ…とか思って顔を引きつらせることしかできなかった。
 アイドルみたいな顔立ちと、天地雷鳴を轟かせて君臨する大妖怪の王を前にしても崩れなさそうな自信に満ちた笑み。加えて―――いくら平均以下とはいえ―――男の子である僕よりもさらに高い背と長い足。
 こんな、美貌の神に愛されまくっていそうな美少女が、僕と同い年でいいの?
 もしもその神に謁見する機会があるとしたら、ぜひとも問いただしたい事柄ではある。
「誠、確かキミは五月生まれだろう? だからキミはボクよりも約半年、年上なのさ。良かったら『誠兄さん』って呼ぶけど?」
「や、やめてよ恥ずかしい…」
 これ以上顔を覗きこまれないよう、窓の外に目をやる僕。
 僕にとっては『明日真お姉ちゃん』の方がしっくり来るような気がする。
「ふふっ、誠はなんだかボク以上に女の子っぽいところがあるね。可愛いなぁ」
 横で明日真がそんなことを言いながらクスクス笑う声が聞こえてきているけど、僕はその言葉も含めて頑張ってスルーした。

 窓から見える景色は段々と変わっていく。
 バスは駅前を過ぎ、商店街を越え、住宅街へと入った。
「…ん、次で降りるよ」
 降車ボタンに手をかけ、明日真が僕の耳元で囁いた。
 ボタンを押す明日真。ポーンという音と共に全てのボタンに電球が点り、
『―――はい、それでは聖桜市立第三小学校前で止まりまーす』
 妙に丁寧な運転手さんのアナウンスが流れて、やがてバスは停車した。
「行くよ」
「あ、うん」
 明日真に手を引かれ、立ち上がる。
 鞄を背負い、トランクを空いている手で引きずる。
 通路を歩いている途中、前の方の席に座っていた毛むくじゃらの帽子のおばさんが、明日真に気付いて声をかけてきた。
「あらタマちゃん、お出かけだったの?」
「うん、まぁね。ちょっと新しい兄を迎えに」
「あらあらまぁまぁ、それじゃこちらの可愛らしいお嬢ちゃんが?」
「そうだよ。ちなみに天然記念物指定されてるからお触り厳禁ね」
「やだわ〜、ちょっと写メってブログにアップするだけよ。男の子にしとくのはもったいない逸材だしぃ〜」
「ふふっ、妙さんは肖像権の侵害って言葉をググッたほうがいいかもね」
 呆然とする僕をよそに、繰り返される会話のキャッチボール。と言うかこの二人、突っ込みどころが多すぎる。僕を狂わせる気だろうか。そもそもタマちゃんって何さ。どこかの川のアザラシのこと? それに僕は男です。もったいなくないです。
「…なあ、タマちゃんよぅ。皆川さんとあんまりしゃべってると、浦島太郎になっちまうぞ」
 運転手さんがひょいっと顔を出し、苦笑いしながら左手の腕時計を右手の人差し指で何度か突いた。
「ああ、ゴメン内山さん。たしかに井戸端会議は限度があるね。それじゃ妙さん、また」
 明日真は片手を上げておばさんに挨拶し、運賃を運転手さんに手渡す。僕も慌てておばさんに頭を下げ、運転手さんに百円玉を二枚手渡した。
「またな、女顔の兄ちゃん。この街だったら五百円でどこへでも連れてくぜ」
 お金を機械に通しつつ、運転手さんが不敵に笑った。きっと休日はチョイ悪親父とかにでもなっているんだろう。さっきまでのアナウンスとは、声の調子がかけ離れ過ぎている。
 それから一応突っ込んでおくけど、誰が女顔ですか誰が。
「よい…しょ、っと」
 先にトランクを降ろし、運転手さんに(社交辞令として)お礼を言って頭を下げた僕は、
「ちなみにね、今のオバサンと運ちゃん、二人ともご近所さんだよ」
 と言って笑う明日真の後を追ってバスを降りた。
 小学校前…と言うだけあって、僕の視界にはフェンスとその先のグラウンドと、ねずみ色にくすんだ校舎が真っ先に入ってきた。
「ボクが通っていた小学校さ。さ、行こう」
 トランクの取っ手を掴み、明日真がそう言った。
「あ、そんなの僕が持つから…」
「いいっていいって。どうせ我が家はすぐそこなんだ。妹として、これくらいさせてよ」
 カラカラ笑いながら、軽々とトランクを担ぐ明日真。ちょっと待ってよ。それ何キロあると思ってるのさ。
 …いやいや、僕が言いたいのはそうじゃなくって、
「だったら僕だって、兄として妹にそんなことさせるわけにはいかないよ。僕が持つ」
「ん? 何か言った? 悪いね、ちょうど今、持病の聞こえザル症候群がね」
「そんな病気ないよ! って言うか僕まで持たないでよ!」
「あっはっはっはっは」
 理解不能のパワーを発揮した明日真は、左手にトランク、右手に僕(含む鞄)を持って住宅街を高笑いしながら歩いて行く。
 …僕ってそんなに軽かったっけ? なんか悔しいぞ。
 ゲームセンターで獲得された景品よろしく明日真の腕に抱えられたままの僕は(抵抗しても
無駄だと本能的に悟った)、十分の後に、ようやく人間として大地に二本の足で立つことを許された。
「さ、着いたよ。ここが我が家さ」
 そう言って明日真が右手を掲げた先には、一戸建てとしてはかなりの大きさの家がそびえ立っていた。そう、まさに『そびえ立つ』という言葉がふさわしい佇まいだ。
 通りに面した広い敷地。駐車スペースも車二台分は楽にあり、小さな階段を上った先にはコスモスなどの秋の草花がガーデニングされている。そしてその先にあるのがこげ茶色のドアで、こうして見上げるだけでもざっと三つほどのライトが家の各所に設置されていた。
 表札を見てみると、そこに書かれている文字はもちろん、柊。
 家主は辰真おじさんで、その横には『明日真』の文字が。
「あれ…?」
 それだけではなく、その横には『葵』と『エリシア』という文字が、それぞれ見事な筆字で書かれてあった。
 僕はその二つの名前を眺めて、しばし固まる。
 この二人はいったい誰だろう?
 僕は、辰真おじさんは明日真と言う一人娘と二人暮しであると聞いていた。
「………」
 明日真は何も言わず、固まったままの僕を見ている。
 その明日真と目が合い、彼女はふっと表情を緩めた。
「どうしたんだい? ここは今日から、誠の家でもあるんだよ」
「あ、う、うん…そうだね」
 しどろもどろになりつつ、僕は明日真からトランクを受け取って玄関前までの階段を上る。
 明日真は僕の二歩先を歩き、大きなドアの前まで来ると、おもむろにチャイムを連打した。
 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポーン!
「うぇ!? ちょ、明日真…?」
 これで今日は何度目の驚きなのか、もう分からない。
 分からないくらいに色々とビックリした経験が積もったので、僕はドアの向こうに人の気配がすることになんとか気付くことができた。
「……よし、いいかな。それじゃ誠、入って」
 ガチャ、とドアノブを回し、明日真がそれを引く。
 僕はゴクリと唾を飲み込み、意を決してそのドアをくぐった。

                  ◇ ◇ ◇

 僕には、両親に関する記憶がほとんどない。
 それは僕が白状者だったり、両親が僕に無関心だった…ということもない。ただ単純に、両親と過ごした時間があまりにも短かっただけだ。
 僕の両親は、僕が小学二年生のときに事故で亡くなった。
 原因は、テレビのニュースなんかでよくある、家族旅行中の悲劇…ってやつだ。高速道路を父さんの運転する車で走行中に、反対車線を走っていた居眠り運転のトラックが中央分離帯を越えて僕らの車に突っ込んできた。事実だけを述べるなら、そういうことだ。
 幸か不幸か、両親は亡くなったものの僕はかろうじて一命を取りとめ、セミと同じ年月の生涯を閉じずに済んだ。
 けれどもそれからの数年間は、とある二つの例外の時期を除き、言葉にするのも嫌になるくらいに辛くて苦しいものだった。親戚中をたらい回しにされ、時には疫病神と罵られ、ロクに友達にも恵まれず、親兄弟たちには厄介者扱いされ続けた。
 だから、


「「「 ―――ようこそ、柊家へ! 」」」


 僕はその時のことを、生涯忘れることはないだろう。
 鳴り響くクラッカーに、舞い落ちる紙吹雪。
 『ウェルカム、ミスターMAKOTO』とカラーインクで書かれた大きな紙をバックに、一人の男性と、二人の女性の笑顔が僕を迎えた。
「いやっはっは! どうだい、驚いた? 驚いたね? お願いだから驚いたって言ってくれないかなぁ。コレ、昨日の夜に僕ら四人でせっせと作ったんだよねぇ」
 背の高い、髪を短く刈り込んだ無精ヒゲの男性が、満面の笑みを段々と苦笑いに変えながら僕のところまで歩いて来る。そしてその両手には『Welcome』と書かれた小さな旗が。
 きっとこの人が辰真おじさんだろう。なんだか予想の斜め上を行っているけど…。
「あ、えっと―――」
 僕がその言葉に答えようと口を開きかけた次の瞬間、
「父さん、なにサラッと情けないことを言いつつ舞台裏を暴露しているのさ」
 その膝目がけて明日真の蹴りが炸裂した。
 辰真おじさんは床に崩れ落ち、左足を押さえて悶絶する。
 …あの、明日真さん?
「ぐぅおおおお……す、すまないマイドーター。そろそろお前も反抗期だもんな。父さんは耐えてみせるぞ…!」
「いや、頼むから屈してくれないかな。それにボクは別に親に対して反抗しているつもりはないよ。別にね」
 鋭い目つきで辰真おじさんを見下ろす明日真。ちょっと…いや、かなり怖い。
「あ、あのっ、姉さまも父さまもっ。誠さんが固まってますよっ」
 突然の事態に上塗りされたさらなる突然の事態を前にした僕は完全に身体機能停止状態だったので、その言葉が誰から投げかけられたものだったのか、一瞬判断に苦しんだ。
 昨夜せっせと作ってくれたのだという大きな紙の前にいた二人の女性のうち、長い髪の方の女の子(よく見たら同い年っぽかった)が、動物のデザインのスリッパを鳴らして僕らのいるところまでやってきた。
 透き通りそうなほどに綺麗な薄桃色の髪は腰の辺りまで伸び、後頭部には大きなオレンジ色のリボンを付けている。顔立ちは整っていて…と言うかかなり可愛くて、蒼くてクリクリした瞳や僕と大差ない背丈のせいか、どことなく小動物っぽい可愛らしさが全身から出ている。
 暖かそうな色のセーターと白のスカート姿という清楚な格好とは裏腹に、この子も『Welcome』と書かれた小さな旗を両手に持っていて、そのアンバランスさに僕は思わず笑ってしまった。
「え? え?」
 そんな僕の様子に、その女の子は少し慌てて自分の服をあちこち見渡し、
「えっと…わたし、何か変ですか?」
 本気で困ったように僕に向かってそう言ってきた。
「あ、ううん。別に変じゃないよ。ただ…一気にいろんな事が起こった後にそれ見ちゃったもんだから、思わず笑っちゃったんだ」
 僕はその子の持っている旗を指さして、苦笑い。
 その子は「あぁ…」と頷きながら自分の両手の物と明日真と辰真おじさんを順番に見て、
「たしかに、わたしでも笑っちゃってたかもしれません」
 にこーっという擬音が似合いそうなほどの笑顔で僕に言った。
「あ、やっぱりそう思う?」
「はいっ」
 僕とその子は、お互い顔を見合わせて、にこーっと笑い合った。
「ん、んっ」
 すっかり和んでしまった場を仕切り直すように、このタイミングで辰真おじさんが咳払いし
た。
「い、いやぁスマナイ、誠君。軽く睡眠不足のせいか取り乱してしまってね」
「昼まで寝ていたくせに良く言うよ…」
 すかさず明日真がツッコミを入れる。
 ただいまの時刻、午後三時二十七分。
「シャップ! うまいツッコミはもう結構。いつまでも玄関先でバタバタしてたら寒いったらありゃしない。続きは居間でしようじゃないかマイファミリー」
 パンパンと手を叩いて、辰真おじさんは僕らを家の中に促す。
「…シャップ? 日本人を侮蔑した言い方?」
「それはジャップ。たぶん本人はシャラップと言いたいんだろう」
 僕と明日真はそんな会話を行いながら、カモンカモンとやかましい辰真おじさんの言葉に従って家の中に入った。
 最初の感動はどこへやら、何もかもが僕の想像以上…ってとこかな、うん。何もかもが。

                  ◇ ◇ ◇

「では改めて、ようこそ誠君、我が家へ」
「あ、はい。どうも」
 僕はそう言って、リビングの中央…食事用テーブルの正面に座る辰真おじさんに向かって頭を下げた。
「一応君の事は伺っているつもりだけど、改めて自己紹介を頼めるかな?」
 辰真おじさんの言葉に、僕は頷いて姿勢を正した。
 咳払いをしつつ、軽く室内を見渡してみる。
 キッチンが併設された広いリビングには、僕も含めて五人の人間と二匹の動物がいた。目の前にいるのは辰真おじさんで、その右隣にいるのはフワフワしたセミロングの髪の優しそうな
女性(誰だろう)。テーブルを挟んで、僕の右には明日真がいて、左にはさっきの可愛い女の子がニコニコ笑顔で座っている。
 明日真の横でフローリングに寝そべっているのは大きな―――本当に大きな―――薄茶色の毛の犬で、仲が良いのか、その犬のお腹の辺りに真っ白な毛の猫が丸まっているのが見えた。
「えと…初めまして。今日からこの家にお世話になります、旧姓・新垣誠と言います。中学二年生で、歳は十四歳。一応、家事は一通りできます。これからご迷惑をかけるかとは思いますが、どうぞよろしくお願いします」
 僕はできるだけ大きい声でそう言い、最後にもう一度頭を下げた。
 四人分にしては大きな拍手が僕に浴びせられ、辰真おじさんが口火を切った。
「うむ、若いのに見事なもんだ。さぞかし苦労してきたんだろうけど…この家に来たからには心配ご無用。ぜひとも毎日笑って過ごしていただきたいね、お気楽極楽の精神で…さ」
 そしてウインクする辰真おじさん。
 その瞳は純粋さに溢れていて、おじさんが本気でこう言ってくれていることが分かった。
 不安と緊張で彩られた僕の心に、温かい何かが加えられた気がした。
「辰真さんの言う通りね。誠ちゃん…でいいのかしら? 今までがどうであれ…この家では誠ちゃんは家事なんてやる必要はないわよ。男の子なんだもの、服が泥だらけになるまで遊んでてくれたほうが嬉しいわぁ。家事は全部私とエリスちゃんでやっちゃうから、ね?」
「はいっ。わたし、がんばっちゃいます!」
 辰真おじさんの隣にいた女の人がやんわりと言い、そのウインクを受けたエリスちゃんとか言う例の可愛い女の子が握りこぶしを作りつつ続いた。
 辰真おじさんは満足そうに頷くと、
「ではこちらも自己紹介といこうか。某は性を柊、名を辰真と申す歯牙無い男。この家の大黒柱であり、さっきまでこの家唯一の男のホモ・サピエンスだった。男の子が欲しかった僕としては、誠君、君を誰よりも歓迎したい。ウェルカァァム、マコトォッ!」
 ものすごいテンションでそこまで言い、さらに叫び声を上げようとして、むせた。
「はいはい、交代ね。私は柊葵って言うの。このおじさんの妻で、柊家のお母さんですよ。これからよろしくねぇ」
 辰真おじさんの隣の女性が、和やかな笑顔のままのんびりと僕に言ってきた。どうやらあの字は『あおい』と読むらしい。
 何となくそうじゃないかとは思ってたけど、この女の人はやっぱり明日真のお母さんのようだ。と言うか、多分辰真おじさんの再婚相手なんだろう。それでその連れ子がエリスちゃんだとしたら納得できそうだ。
 そんなことを考えていると、僕の右隣の明日真が「次はボクだね」と言いつつ姿勢を崩して僕の方に体を向けた。
「たびたび言ってスマナイが、ようこそ、誠。ボクは明日真。ここの長女ってことになるかな。
加えて、この家では何でも屋みたいなポジションにいる。何か困ったことがあったら遠慮なくボクに言ってもらいたいね」
「あ、うん。その時はお願いするよ、明日真」
「まかせてくれ、兄さん」
 笑顔で握手を交わす僕ら。
 明日真の手は細くて少しだけ冷たく、とても『女の子』だった。今は室内なので上着とマフラーを脱いでいるから、エリスちゃんとおそろいっぽいセーターにジーンズという格好になっている。
 そしてその格好が何となく、前の家にいた短大生の元姉を連想させた。あの人も去年の冬はよくこんな格好で家にいたっけ。受験生には服を気にしている暇はないとかなんとか。
 その時はその格好がだらしなく見えたものだけど、今こうして明日真が着ているのを見ると、そうでもないような気がしてきた。
 単に明日真が何を着ても似合う女の子だからなのかも知れないけど。
「…さて、最後はエリスだね」
 僕らを太陽みたいな笑顔で見ていたエリスちゃんに対し、明日真は頷いて見せた。エリスちゃんは「はいっ」と元気良く返事をし、ぴょこんとジャンプして椅子から飛び降りた後、一歩下がって深々と頭を下げた。
「初めまして。わたし、エリスって言います。本名はエリシアと言いますが、エリスって呼んでください。…えっと、母さまが再婚して、この家には今年の春に来ました。もう亡くなってますけど、実の父さまはフィンランド人でした。生まれも育ちも日本なので日本語しか話せないのが一番の短所なんですけど、どうか仲良くしてください」
 そこまで言ってからもう一度頭を下げたエリスちゃんを見て、僕はふと、最初に転校した時に同級生だった、クォーターの男の子のことを思い出した。
 その子はエリスちゃんと同じく見た目が外国人なのに中身は生粋の日本人で、外国語を一切しゃべれないことを理由に酷いいじめにあっていた。
 そしてある日、僕はどうしても我慢できないことがあって、彼をいじめていたいじめっ子集団のリーダーに立ち向かった。その時に起こったことが原因で僕の居場所がさらに狭くなっちゃったんだけど、友達を見捨てずに闘ったというその一点だけは、僕の誇りだった。
 それを思い出した僕は椅子から降りてエリスちゃんのところまで行き、出来る限りの笑顔で言った。
「大丈夫、そんなこと言わないよ。それにエリスちゃん可愛いから、他の誰だってきっと言ったりしないと思うよ」
「え、あ、ありがとうございます……」
 エリスちゃんの言葉の直後、僕の後ろで明日真がヒュウと口笛を吹いた。どうしたんだろうと思って再びエリスちゃんの方を見ると、エリスちゃんの顔が見る見るうちに真っ赤になっていくのに気が付いた。
 えっと、僕、何かおかしなこと言った?
「ブラァーボッ! ナイス紳士! 日本国紳士! ジャパニーズェントルメーン!」
 辰真おじさんが立ち上がって僕に拍手をし始めた。葵おばさんもパチパチと優しい拍手をくれる。
「え…と?」
 僕が目を白黒させていると、明日真がため息を吐きつつ、冷静に辰真おじさんに突っ込んだ。
「とりあえず…ジャパニーズとジェントルマンを勝手に合体させないように」

 夕飯にはまだ早かったので、僕は明日真の案内の下、柊家の中を見て回ることにした。
 この家は二階建てで、そして僕が今までいたどの家よりも大きな家だった。
「一階は居間とキッチン、トイレ、風呂場、それから父さんと母さんの部屋に、父さんの書斎。他には…物置っぽい部屋が一つ。二階はボクとエリスがそれぞれ使っている部屋以外の二部屋は両方とも空いてるから、どちらでも好きな部屋を使ってくれて構わないよ」
 とは、明日真の弁。
 その明日真を先頭に、いつの間にか起きてきた明日真の犬(テリーと言うらしい)を連れて各部屋を回る僕。部屋はどこも大きくて、おじさんの書斎が特に惹かれた。あの部屋には一日いても飽きないかも知れない。
「…改めて回ってみると、やっぱり大きい家だねぇ。僕ら以外にも、もう一家族くらい住めそうな感じだね」
 一階の廊下を歩く途中、冗談交じりに明日真に話を振ったら、明日真は苦笑いを浮かべた。
「ああ…たしかに広くて無駄に大きいね。今でこそ五人家族だけど、今年の春先までは寂しいものだったよ。特に去年の十一月から今年の三月まではボク一人だったからね」
 しゃがみ込んでテリーの頭をガシガシ撫でながら、
「父さんが長期の出張でね。まぁ…近所の人とかクラスの友達なんかが色々面倒見てくれたからなんとかなったけど、まさか出張の土産が新しい母さんと妹だとはね…」
 まるでマンガみたいだったよ、と明日真は笑った。
 詳しい話を聞くと、まず、春休みの最中に突然エリスちゃんがこの家に一人でやって来たことから始まった。
「もちろんそのときのボクは一切の事情を知らないわけだ。で、エリスの方も、父さんと母さんがいきなり新婚旅行に行ってしまってなおかつ『僕の家には娘が一人で居るから先に行ってあげて』的なことをその旅行の直前にあのボケ親父殿から言われたらしく、戸惑いつつもこの街までわざわざ来てしまった…と」
 あぁ…なんかその時の光景が想像できてしまうような気がする。
「ボクの方も最初は警戒してたね。でもあんな可愛い娘が嘘を吐くはずは無いと言うか、全て父さんの仕業だと考えた方がしっくりきてね、携帯に電話してみたんだ」
「…それで?」
 とりあえずそう訊いてはみたけど、僕にはどんな答えが返って来るか分かる気がした。
 明日真はそんな僕の考えを読んだかのように僕に向かって微笑み、
「開口一番、お前の新しい妹はもうそっちに着いたか、と来たもんだ」
「あっはっは」
 僕は棒読みっぽく笑った。
「まったく、我が父ながら良くやってくれたものだよ。出張先で一目惚れして婚約までして、中学生の娘二人残して一週間も海外に旅行とはね。しかも用意周到なことにエリスの転校の手続きまでしちゃってさ。…ま、春休み中だったから何とかなったし、帰ってきた時にキッチリと筋は通させてもらったけどさ」
 明日真は口の端を歪めて笑った。ちょっと怖い。
「い、いったい何したの?」
「とりあえず、買い物したね。ボクは服とか装飾品に興味はなかったから、新しいパソコンとエリスの家財一式。それに前から読みたかった本を百冊ほどと、このテリーと居間で寝てる猫のベルを買ったよ。もちろん父さんのお金でね」
 最後には、もうカンベンして下さいとおじさんに泣きつかれたそうだ。
 僕は、それで許した明日真を寛容と見るべきか、そこまでしなくてもと咎めるべきか、よく分からなかった。
「……まぁ、それからは華やかで楽しい日々だったよ。エリスはキミも思っただろうけど、素直で明るい良い娘だ。こんなひねくれた姉をよく慕ってくれたものだよ」
「それは…うん、たしかに」
 僕は心からの言葉で答えた。答えてから、しまったと思った。
「あ、もちろんエリスちゃんのことに関しての答えだよ? べべ、別に明日真がひねくれてるっていう内容に対して答えたわけじゃあ」
「ああ、もちろん解っているさ」
 僕の言葉を遮り、満面の笑みで立ち上がる明日真。なんかどす黒いオーラが見える気がするんですが。
 あ、テリー待ってよ逃げないで僕を一人にしないで。
「さて…兄さん。その奥がお風呂場だけど、とりあえず一緒に入るとしようか」
「へぁっ?」
 僕の背後を指差しつつ素敵な笑顔でそんなことを言うもんだから、僕は抜けた返事をした。
 何がとりあえずなのかと突っ込むのも惜しんで、僕は慌てて言葉を繋げる。
「な、なに言ってるのさ。お風呂なんてまだ早い時間だし、それに僕は男で…」
「大丈夫。ミナモトさんって家の一人娘は普通に昼間っから入浴してるし、ボクらは今日から兄と妹の仲になったんだ、別に構わないだろう?」
 いや、それが通用するのはもっと小さい頃だと思う。それにミナモトさんって誰さ。
「こう見えてもボクの肌は綺麗だよ? それにボクはエリスとだって毎晩一緒に入っているか
らね、キミとも入らないと不公平になってしまうじゃないか」
「いやそれ全然不公平とかじゃないから。それよりもまず理由になってないから」
 慌てふためく僕に優しく微笑みかけた明日真は、その顔とは裏腹なものすごい力で僕の腕を鷲掴みにし、
「さぁ行こうか。約束の地へ」
「いや〜〜〜!」
 そのまま脱衣所まで連行されたのだった。
 ちなみにそれから僕はどうなったかと言うと、シャツを脱がされるまであと一歩と言うタイミングで辰真おじさんが「パパも一緒に入る〜!」と脱衣所に飛び込んで来て、直後に明日真の右ストレートでぶっ飛ばされたから、その一瞬のスキをついて脱出することに成功した。
 ありがとうおじさん。
 あなたのことを、僕は忘れません。合掌。

                  ◇ ◇ ◇

 その日の夕食は、僕が(またしても)今まで見たこともないくらいに豪勢なものだった。
 左頬の青アザが痛々しいおじさんだったが表情自体は満面の笑みで、しきりに僕に食べ物を勧めてくれた。それに加え、エリスちゃんがはにかみながらも自分が一生懸命作ったと言う料理の話をしてくれたので、ついつい食べ過ぎてしまった。
 でもまぁ、エリスちゃん作の料理を完食したときに見せてくれたあの笑顔がとても眩しかったから、たとえ苦しくて動けない今があったとしても悪くない気分だった。おいしかったし。
 ――――コンコンコンコン。
 僕の部屋(一応)のドアが四回ノックされた。たしか二回はトイレで、三回はかしこまった場で、四回は親しい人などの部屋をノックする際の回数…だと何かで読んだ気がする。
 それはそうと、僕みたいにこんな変に偏った知識を持っていそうな人物はこの家に一人しかいそうになかったので、
「明日真でしょ? 開いてるよ〜」
 そんな感じで軽く答えたのだけれども、
「…うん、お邪魔する」
 その声と共に入ってきた人物に、僕の顔と視線が釘付けになった。
 背中ほどまであるストレートの黒髪はしっとりと濡れて艶を帯び、お風呂上りだろう上気した頬はそこはかとなく薄紅色に染まっている。黒目がちな瞳は優しさを湛えて僕を真っ直ぐに見下ろし、その小さな口元はわずかに微笑みを浮かべている。
 はっきり言ってむちゃくちゃ可愛いと呼べるであろう女の子が、そこにいた。
「………………誰?」
 僕が思わずそう言ってしまったのも無理はないと断言できる。いや、この娘が誰かなんて答えは一つしかないんだろうけどさ、そう言ってしまったものは仕方がない。
 そんな、ある種初恋にも似た感情を抱く僕の胸のときめきを、
「…なるほど、誠は清純派がど真ん中ストライクか」
 彼女の口から発せられた中性っぽいハスキーボイス、その一言でぶち壊された。
「………………………ねぇ、明日真さんや」
「なんだい、誠くんや」
 ニマニマと笑いながら返事をする義妹。とても楽しそうだ。
「何だよ、その格好は」
「見ての通りお風呂上りさ。ところで先輩系と後輩系、どっちが―――」
「もういいよ!」
 僕はこのときめきを返せとも言えないので(明日真は絶対解ってやっている)、せめてもの抗いとして、少々乱暴にクッションを放った。
「では遠慮なく…と」
 それを軽くキャッチした明日真は、フローリングに無造作に置くとそこにポフンと座った。
 室内をざっと見渡し、再び口を開く。
「…ふむ、まだ殺風景だね。荷物は解いてないのかい?」
 そうなのだ。一応自分の部屋となる場所を決めたはいいものの、前の家から送られてきた僕の荷物(個人的に持ってきた物以外の服や本など)は未だにダンボールの中だった。まぁ、それほど数もないから解くのは難しくないけども。
「カラーボックスとか、いる物は遠慮なく言ってくれよ? 近くに安いホームセンターがある
からね、かなり良心的な値段で手に入るよ」
 メガネ越しではない、裸眼で僕を見つめながら言う明日真。まるで印象は違うけども、不思議と違和感を感じなかった。
 それは彼女が常に自然体だからなのかも知れない。
 だから僕も自然と、遠慮なく話すことができた。
「うん、ありがとう。さっそくだけど、本棚とかないかな? 僕も一応ずっと持っている本がそこそこあってさ、数はそんなにないんだけど、キチンとした場所に置きたくてね」
「ああ、任せてよ。父さんの書斎にあるくらいのレベルでいいかい?」
「そんな…あんな立派なのいらないよ。それこそホームセンターで売っている安いやつで十分だよ、僕の部屋なんだし…」
 僕はそこまで言うと、部屋を見渡す。
「そう…これが、僕の部屋……」
 思わず言葉が漏れてしまった。
 奥行きのある部屋で、壁紙は淡い緑色で統一されているから不思議と落ち着く。窓は大きくて、その手前にあるベッドも大きくて清潔だった。
 部屋の大きさ自体は畳にして十畳くらいだろうか。大勢の友達を呼んでも問題なさそうだ。
ただし明日真の指摘通り、この部屋にはベッドとテレビ台(の上にはもちろんテレビがある)と、簡単な勉強机。それに小さなタンスくらいしか家具がない。
 だけど、屋根裏とか他の兄弟と一緒の部屋を強いられてきた僕にとっては、自分好みに装飾できる大きな一人部屋と言うものは、諸手を上げて喜びたくなるくらいのものだった。
「…そうだね、キミの部屋だ」
 僕が何を考えていたのかを察知したのか、明日真も部屋を見渡して優しく言った。
「………」
「………」
 そして二人、無言で微笑み合う。「気に入ったよ」、「それは良かった」。そんな会話がお
互いの視線だけで繰り広げられた気がした。
 明日真が何か言おうとして口を開けたとき、また部屋のドアがノックされた。今度は二回だ。
「あ、どうぞ〜」
「は、はい。失礼します」
 入ってきたのは、エリスちゃんだった。
 彼女もお風呂上りなのか、母親譲りの柔らかそうな髪も今は濡れて真っ直ぐになっている。
そしてそのパジャマを見て、明日真と色違いのおそろいであることに気が付いた。
「エリスちゃんも僕の部屋見学? まだ段ボールとかばかりで、汚くてゴメンね」
「え? いえいえ、そんなことないですよ」
 クッションを手渡すと、空いた手をブンブン振ってエリスちゃんは答えた。
「このお部屋、昨日まではガランとしててすごく寂しかったんです。でも、今はそうじゃありません。ですからきっとお部屋さんも、兄さまが来てくれて喜んでるはずです」
 にっこり。
 春の日なたみたいに温かい笑顔で言うエリスちゃん。
 その笑顔にしばし見とれていたため、彼女の言葉に含まれた違和感に気付いたのは、それから数秒後のことだった。
「…あれ、ねぇエリスちゃん? 今、僕のこと…」
「あ、はいっ」
 エリスちゃんは「えへへ」と可愛くはにかんで、
「今日から誠さんはエリスの兄さまになったんですから、どうかそう呼ばせてください」
 クッションの上に女の子座りをしたまま僕を見つめてそう言った。
 にいさま…か。
「そ、そんな風に呼ばれたの……僕、初めてだよ」
 嬉しいと言うか、恥ずかしいと言うか、ちょっと首の辺りがこそばゆい。
 今まで居た家々でも僕よりも年下の子はたくさんいた。けれども、誰一人として僕を『兄』として見てくれていた子はいなかったようにも思えた。それは僕がただ単に兄としてふさわしくなかっただけかも知れないし、今だって明日真の方が上に見えちゃうけど、それでも、僕は誰かに『兄』として認めてもらいたかったんだ。
 だから、
「ありがとう、エリスちゃん」
 その澄んだ青空のような瞳を真っ直ぐに見つめ返して、素直にこの言葉を言うことができた。
「おいおい、そうじゃないだろう、兄さん?」
 明日真がため息混じりに笑いかける。
「キミは兄で、ボクらは妹。キミはボクを何と呼んでいる? そして今、君はエリスを何て呼んだんだい?」
「あ……」
 言われて気付いた。こういうところが、明日真の方が上に見えてしまう理由でもあるんだろうなぁ。
 僕自身は特に抵抗はないけど、彼女はどうなんだろう。そう思って明日真の横の女の子に視線を戻すと、
「……………」
 頬を染めつつも、僕がそう呼ぶことを待っているように感じられた。
 だから僕は、改めてもう一度、こう言った。
「ありがとう…エリス」
「―――はいっ!」
 エリスちゃん…ううん、エリスは、この日一番の笑顔を僕に見せてくれた。
 その横では、澄ました顔をしつつも口元が微笑んでいる明日真がいる。
 明日真とエリス。この二人が、僕のいもうと。僕の新しい家族だ。
「これからよろしくね」
「こちらこそ、です」
 パン、と軽くハイタッチを交わす僕とエリス。
 そんな良い感じの空気の中、
「…さて御両人、お立会い。場が温まったところで一勝負といこうか?」
 そう言いつつどこからかトランプを出す明日真。
 この脈絡のなさは見習うべきか否か。
「わたし、神経衰弱がいいです」
 そしてそんな変化にもすぐに馴染んでしまうエリス。これもある意味才能だ。
 さて僕はどうしようかと思って机の上の時計を見ると、まだ八時を回ったばかりだった。
 明日から学校が始まるけど、せっかくだからまだ遊んでいたい。今日と言う日を楽しみたい。
「もちろん兄さんもやるだろう?」
「そうだね…うん」
 その時僕はふと、良い考えが脳裏に浮かんだ。
「じゃあさ、下に行っておじさんたちも誘わない?」
 家族になったんだから、なるべくなら楽しいことは共有したい。
 僕のこの案はすぐに採用され、僕らは勢い良く立ち上がった。
「せっかくだから何か罰ゲームを考えようか。取り札が一番少なかった者は、一番多かった者に今夜のデザートのプリンを渡すってのはどうだい?」
「わたし負けません!」
「え、そんなのあったの?」
「そもそも、ボクがここに来たのもそれを言うためでもあったりするし」
「…それじゃあ僕も負けられないね」
 言い合い、笑い合いながら僕らは部屋を後にする。
 僕の新しい生活、その最初の一日目は、そんな風に穏やかに楽しく過ぎていった。
 ちなみにおじさんから頂戴したプリンは、とてもとても、おいしかったです。



posted by 江戸川テン at 01:09| Comment(0) | TrackBack(0) | アシタマ! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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